あの子のことをしゃべりたいの

今日も今日とて、こじゃこじゃしい

どうでもいいし、それで良い

四季が無くなっちゃったんじゃないの?冬なんか来ないんじゃないの?そんな気持ちになってしまう今日この頃です。私は冬が大好きなのに。

ポエマーのような前置きをどうもすみません。学生の頃から、”文章がいちいちポエマーくさい” で有名でした。あーあ、ポエマーに転職しようかな…。

この前何の気なしにアクセス解析のページを見てみたら、想像を絶する人数の方がこのブログを覗いて下さっていたことを知って、ただただ驚いています。前回は4回に渡って笑い声を分析したりふざけたことを大真面目にしていた最高に気持ち悪い一人語りでしたが、お付き合い下さった方ありがとうございました!

 今回は、ゴミ屋敷同然な私の頭の中を整理整頓するためだけに、自分の気持ちを思うがままに書き連ねてみることにします。

 

近頃、愛を見失いそうになることが多い。

それは私が直接誰かに何かを言われたわけでもされたわけでもなく、改めて周りを見回してみたときに感じたこと。自分自身を見つめ直さなければいけないのでは?と感じたこと。Twitterって、ジャニヲタって、もっと個々に独立しているものだと思っていました。それぞれ好きなものを好きなように愛でて、好きなように愛を叫んで。そういうものだと思っていたし、私もその思惑の通りに振る舞っていました。けれど最近、私の乱雑で横暴な嬉しいとか楽しいとか大好きとかが、誰かの嬉しいとか楽しいとか大好きの邪魔をしているような気がして。古謝くんを応援している自分に疑問と不安が湧いてきました。

”Jr.だけはやめときって” ”知らんでほんま” ”それも関西Jr.とか”____

6年間の全てにピリオドを打つ担降りに関して、周りからの声は後ろ向きなものばかり。それでも、全然いいよ!だって好きだし!と色んなものを振り切って古謝くんを担当にすることを決めた私。意を決して飛び込んだは良いものの、最初の一ヶ月ほどは彼を応援すると決めた自分に自信が持てないことだらけでした。情報量の少なさ、関ジュ担の友達がいないこと。そこから次々と見えてきた小さな不安は次第に積もっていって、自分の中であの日の決意が揺らぎ始めたのがわかりました。戻るなら、別の道に行くのなら、今のうちかもしれない。

そんなことに思い悩んでめそめそしていた頃、有難いことに彼は沢山テレビに出てくれました。BSだったり地上波でも深夜枠の番組だったりでしたが、動いている彼を見ることが出来たのはとても嬉しかったです。それが画面越しだったとしても。もっと色んな表情がみたいなって思いました。もちろんかっこいいし可愛い。新調したTwitterのアカウントにその気持ちを置いてみるけれど、自分の気持ちに何ひとつ自信が持てないから、ツイートしては消しツイートしては消しを繰り返す。

古謝担の始まりは私にとって ”逃げ” でした。あんなに大好きだった元担のことをどうでも良くなってしまったから、本気でアイドルを応援することが怖くなってしまった。本当はジャニヲタなんて辞めたかったほど。でも私は根暗で陰気くさいから見上げる存在がいないとすぐに俯いてしゃがみこんでしまう。誰かを応援していたい。でも怖い。だから絶対本気ではまらないような人を見ていようと思ったんです。「もう古謝でええわ」から始まっただなんて、最低過ぎませんか。それ故に ”かっこいい!好き!” と思うたび、それの2.5倍くらいの ”ごめんなさい” もついてくる。私、古謝くんのことを応援していても良いのかな。もっと幸せになっているはずだったのに。そんなモヤモヤを全てぶっ飛ばしてくれたのは、昨年12月3日に放送された『炎の体育会TV』内の企画、『上田ジャニーズ陸上部 関東vs関西 正規リレーメンバー決定戦』でした。ありえないほどの緊張感と気迫をまとい、カメラの前で思いっきり感情をさらけ出した彼を見て確信したんです。

もう大丈夫。この人を選んだこと、間違いなんかじゃなかった!

普段滅多に映画やドラマを見てもよっぽどでない限り感情移入しない私が、演技でもなんでもない彼の涙を見て号泣したんです。強張っている表情、悔しそうな泣き顔、割れてる前髪、目つきが変わる瞬間、苦しそうに走る姿。何もかもが胸に詰まって、上手く言葉に出来ません。報われてほしい。誰よりも幸せになってほしい。生まれて始めて本気で人の幸せを願いました。本気でロイター板になりたいと思いました。私は小さくてしょっぼいバネの一部でしかないけれど。

気持ちが固まってからは、楽しいことしかありません。幸せを感じやすい体質になりました。何気ない全部が嬉しくて楽しくて。今までよりも視界がクリアになったのか、それとも同じ景色にエフェクトがかかっただけなのかはわかりませんが、古謝くんに出会って急に日常が輝き始めたんです。自担が雑誌に載ることやテレビに出ることを、こんなにも有難くて嬉しいと感じる日が来るなんて思ってもなかった。古謝くん最高、古謝担最高、古謝くん優勝、古謝担優勝。クリパ期間から春松竹期間なんて毎日小躍りを踊って生きていました。

それが駄目だったのかもしれない。

Jr.担の皆さんはJr.を応援するにあたって、”悔しい” と感じたことがありますか?それは自担を取り巻く環境に対して?それとも、ヲタクに対して?私はどちらにもその感情を持ったことがありませんでした。

立ち位置が後ろだった。出番が少なかった。干されている。そんな状況であったとしても、最終的には彼が納得して楽しく仕事をこなしてくれていれば良いなと思っていました。多ステしている。沢山レポを流してくる。自分よりも立派な応援の仕方をしている。それも別に気になりませんでした。正直言って、どうでも良かったんです。どちらにせよ。

私は自分のことを物凄く冷たい人間だと思っています。世の中の8割方がどうでも良い。興味が持てない。自分は自分だと思っているし、他人は他人。自分と他人を切り離して考えていました。きょうだいが多いせいもあるのか、小さい頃から他人と比較されることが大嫌いで。そんな私なので、大好きな自担と他のメンバーを比較するなんて絶対にしたくなかったんです。大好きだから甘やかしてしまう。大好きだから全肯定してしまう。

だからといって、自担に辛口な人のことが嫌いだったとかでは全く無くて。自分は自分、その人はその人、誰かの応援スタンスはどうだって良かった。無関心って怖いですよね。嫌いよりも無関心のほうが怖い。私はいつだって無関心だと、自分を客観視して気づきました。

そんな私が初めて ”悔しい” と思ったのは、今年の夏松竹のポスターに彼の姿が無かったとき。率直に なんで?と思いました。結局別のお仕事が入っていたので一安心したのですが、一年に一度しかないin大阪に出してもらえなかったのは格別に悔しかった。なんか、これだけはいつもみたいに ”ま、いっか” とは思えなかったんですよね。

このあたりからやっと周りが見え始めるようになります。ついこの前、毎年恒例、松竹座でのクリパの開催が発表されました。これに限っては悔しいよりも悲しいのほうが大きかったです。また先輩のバックにつくの?クリパ期間中の仕事はちゃんとあるの?なんで彼はみんなと一緒に松竹座のステージに立っちゃいけないの?私は松竹座で輝いてる古謝くんが見たい。

大多数と同じ考えを持ち合わせることが少し出来るようになったとき、振り返ってみたら、いきなり不安に目隠しされてしまったんです。古謝くんを応援し始めてやっと一年経ったような自分が能天気なことばかり言って、周りに不快な思いをさせていたんじゃないかって。ふざけ散らかしている私の愛で、誰かの愛が萎えてしまっていたらどうしようって。

モヤモヤした気持ちはだいぶ前に彼が全部吹き飛ばしてくれたのに、またこんな気持ちになってしまった。楽しくヲタクがしたいです。何かに萎縮して生きたくない。私は私って思いたい。けれど、それは誰かにとっては迷惑かもしれない。そういうことを一人でぐるぐる考え込んだり、誰かや何かに撃たれて辛い思いをしている周りの様子を見たりしていると、愛を見失いそうになります。心苦しい。

誰かに威圧されて泣く泣く愛を手放すようなことは、絶対にあってはならないと思います。気持ちを強く持たないとなぁ、と思いながら、ある日ぼんやりとカメラロールを遡っていたら、乱雑で横暴だけど嘘偽りのないあの頃の気持ちを思い出すことが出来ました。

とにかく顔が見たくて狂ったように画像を保存していたら突然南国と化したカメラロール。ビジュアルが完璧すぎたえびちゃんズー。盛れに盛れていたうえに、そのスタイリングがコーディネートからヘアメイクまで全てセルフだったと知り白目を剥いた局のプロフィール画像。地上波、それもゴールデンタイムのテレビに出るのが嬉しくて、名前が載っているものをわけもわからず買い漁ったテレビ誌。この人についていけば大丈夫!という勝手な信頼を、部屋の隅っこにひっそり飾った12月3日。自分の誕生日よりも嬉しくて楽しかった1月13日。まさかの選曲に気絶した1月15日のショータイム。

盛れていても盛れていなくても毎月可愛い早売り、最終的には最高だったとれ関、無駄に買い占めて大泣きしながら読んだ産経新聞、更新されるたびに大好きが溢れる日誌、どれもこれも嬉しくて楽しくて、これから先もずっと忘れたくない大好きな季節です。改めて、彼が好きなんだなぁと思いました。きゅんとした。

古謝くんには絶対はまらないなんて思い込みをして余裕をぶっこいていた自分に、後ろから飛び蹴りしてやりたいです。突然ビビッとくるような破壊的で衝撃的な好きではなかったけど、じわじわと癖になってきて もっともっとって夢中になっていってしまうタイプの好きだったんですよね。クラス替えをしてからずっとただのクラスメイトだった男子を、二学期の途中で何かをきっかけに急に意識し始めるタイプの好きだった(なんの話だよ)。

古謝くんに対するときめきはしんどくならない。ずっと繋いでいた手を、ふいにきゅっと強く握られるような感覚。破壊力が無いと言えば確かにそうかもしれないけど、今の私にはそれがちょうど良いんです。心臓を握りつぶされるのはもう体力が持たない。あくまでも私の感じ方です。

カメラロールを遡って初心に帰った私には、周りがどうとかこうとかが再びどうでも良くなってしまいました。それが駄目なのではと薄々わかっていたけど、本来ヲタクとはそういうものだったのかもしれない。好きなものだけ見ていれば良いんです。自担にピントを合わせて、余裕があればその周りの愉快な仲間達を見ればいい。真横を向いて列からはみ出していないかなんて確認しなくていい。人様にぶつからないように動いていれば縦でも横でも斜めでも、好きな方向に行って大丈夫。列なんてあってないようなものです。

最近思っていることをひたすら打ち込んでいたら、知らないうちに自己解決していました。直接口に出して伝えるよりも文章にして伝えるほうが得意な気がします。日本語が上手く話せないので(外国語が話せるというわけではないです)。すっきりした!

気づいたら古謝担になって一年経っていました。いつまでも新鮮な気持ちで応援し続けることは出来ないと思うけど、とりあえず愛は見失わないようにしたい。

誰にも負けない強さを持ちなさい。

それは力や権力ではなく

人を愛する心の事です。

これだから好きなんですよ。何かに思い悩んだとき、何かに対する気力を失ったとき、大切なことは大体古謝くんが日誌で教えてくれます。人によって感じ方はそれぞれだと思いますが、私は彼が綴るあったかい文章が大好きです。どこの誰に何を言われるよりも、一番すんなり心に入ってくる。

色々あるけど、結局ジャニヲタって!古謝担って!すっっっごく幸せなんですよ!!

お顔もハートも男前な、優しい古謝くんが大好きです。

この幸せがずっと続きますように!

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